Carl&Bertha (2011)★2011.06.04掲載
カールとベルタ
監督:Till
Endemann(ティル・エンデマン)
出演:Felicitas Woll(フェルツィタス・ヴォル)、Ken Duken(ケン・ドゥーケン)、
Hansjuergen
Huerrig(ハンスユルゲン・ヒュリッヒ)、Michou Friesz、Alexander Beyer(アレキサンダー・バイヤー)、
Juergen
Schornagel(ユルゲン・ショーンナーゲル)、Johann von Buelow(ヨハン・フォン・ビューロー)、
Hannes Hellmann(ハネス・ヘルマン)、Benno Bings
(ベノ・ビングス)、Elert Bode(エレルト・ボーデ)、
Julia
Brendt(ユリア・ブレント)、Timo Dierkes
(ティモ・ディルケス)、Olli Dittrich(オリー・ディットリッヒ)、
Hanna Hoeppner(ハンナ・ヘップナー)、Fiona Kaulin(フィオナ・アオリン)、Jonas Krstic(ヨナス・クリスティッチ)、
Peter Ruehring(ペーター・リューリンク)、Wolf-Niklas Schykowski (ヴォルフ・ニクラス・ショイコフスキー)、
Mike Zaka Sommerfeldt、Antonio Wannek、Eric Wuest(エリック・ヴュスト)、Esther Zimmering(エスター・ツィマーリンク)、
Corinna
von Mannstedt(コリナフォン・マンシュテット)、他
メルセデス・ベンツのブランドに名を残している、世界で最初に実用的なガソリン動力の自動車を発明したダイムラー・ベンツ(ダイムラー)の創立者の一人カール・ベンツと妻のベルタの自伝テレビ映画。
ストーリーは、1870年、カールが発明に融資(援助)してくれる人を探している時にパーティーでベルタ・リンガーに出会うところから始まる。ベルタは裕福な家庭で育った令嬢でカールの発明に対する情熱に感嘆し、父親に投資を頼んで、カールの夢を二人で果たしたいと、1872年結婚する。二人は、機械工作所を設立し、カールは2サイクルエンジンの開発に取り組み、家族を賄うために、鍵作りのようなどんな仕事も引き受けていた。資金が必要なことも言い出せないカールに対して、ベルタは雄弁で、お金持ちのお客が工場を訪れると、「私の夫は、発明家で2サイクルエンジンの設計をしたんですよ。これが完成したら、ものすごい発明になります!」「ほほう、で、完成できるのかね?」「資金を出してくれたら完成させます!」「ははは、そうか、じゃあ、投資するので完成させてくれたまえ。」と言う風に、カールの夢をかなえるために、いつも陰で支えてきた。
カールは、発明→設計→製作はできるのですが、運営や営業の面では融通が利かず、開発のためにお金を使い果たし何度も挫折し、ベルタは、そのつど、カールを励まし、一人で家計をやりくりして子供たちを育ててきました。ついに、2サイクルエンジンの開発に成功し1883年、カールは株主の一人として、マンハイムで、ガス動力車両製作会社を設立する。
1885年に開発した、4サイクルのガソリンエンジンを搭載した三輪自動車の試乗を、街中で強行するが、少し走ったところで呆気なく、煙を出してエンストしてしまう。この時は時速18キロを記録されたしている。
その後、改良され完成したこの三輪車はパテント・モトールヴァーゲンと名付けられ、1886年に特許登録証が交付される。宣伝のため出展した展示会場で初めて、ゴットリープ・ダイムラーに会って、(映画では、「お互いライバルとして、別々に同じ目標に向かって開発をするより、共同作業で開発した方がいいものができそうだね。」と話した。)この日、一人も契約できなかった、カールは落胆して、三輪車と共に夜中に家に戻ってきた。ベルタは、「ここまで、一緒に築いてきた夢を捨てないで、また一緒にがんばりましょう!」と励ますが、カールは「今まで苦労の結果がこれだ。認められないんだ。将来など無いんだ。もう開発はやめる。」と床に伏した。次の日カールが目を覚ますと、目に前に、「二人の息子と一緒に実家に行ってきます。」と言うメモがあり、車がなかった。
ベルタが、たくさんの人に、カールの発明した車を見てもらおうと、マンハイムからベルタの実家があるプフォルツハイムまで約104キロの道のりを12時間以上かけて走らせ、街中の人たちが歓声を上げ、見事な宣伝効果があった、映画は、ベルタがプフォルツハイムからカールに電報を打って、家族と心配で駆けつけた友人たちが感動し涙するところで終わる。
*注:実際は、1888年にベルタがは、夫の発明品が役に立つことを証明するため、夫に内緒でベンツ3号機に乗って、マンハイムからベルタの生まれ故郷プフォルツハイムへ旅をした。ベルタが使った正確なコースは定かではにが、2008年2月25日、パテント・モトールヴァーゲンによる世界初の長距離旅行を記念する「ベルタ・ベンツ・メモリアルルート」がドイツ観光街道として正式に認定された。
25才のカール
カール役のケン・ドゥーケン
23才頃のベルタ
ベルタ役のフェリツィタス・ヴォル
余談ですが、カール名前は、日本はKarlと書かれ、ドイツでは場所の名前がKarl-Benz-Platz(プレイス)だったり、学校の名前がCarl-Benz-Schule(スクール)だったりで、Karl
なのかCarlなのか?CかKかどちらで書くのか、疑問に思いますよね、そこでドイツのサイトで調べてみました。
カール(1844年11月25日生)の出生地、ミュールブルクの出生届には、Karl Friedrich Michaelと記録されています。
1860年、15歳で入学したカールスルーエ工科大学の書類の著名欄にはKarl Benzと記されています。
1880年、マンハイムにて最初の特許申請の時も、Karl Benzが使われています。
その後、ドイツではフランス式の名前の書き方がブームとなり、ドイツ語の名前に使われるKをCと書くようになりました。そこで、街の名前カールスルーエKarlsruheがCarlsruheと世界で使われるようになり、カールも1882年の特許申請の時にCarlを使っていますので、ブームに乗って名前をKからCに変えたとされています。 (MICK) |